BLOG
活動ブログ
沖縄・摩文仁(まぶに)の丘で平和を祈る
2015-01-26

2014年(平成26年)11月26日に、沖縄県糸満市の摩文仁の丘にある「神奈川の塔」で神奈川県南方諸地域戦没者追悼式に参列してきました。先の大戦において沖縄戦やマリアナ諸島など南方諸地域で亡くなられた神奈川県関係者は40,680名を数えます。その戦没者を追悼し、平和を祈願するために、1965年(昭和40年)に「神奈川の塔」は建立され、今年、県民からの寄付によって再建されました。

そして、現在、「神奈川の塔」のある「平和祈念公園」には、「国立戦没者墓苑」や「沖縄県平和祈念資料館」、「平和の礎」をはじめ他の都道府県の慰霊碑が多数あります。この「摩文仁の丘」は、日本における唯一の県民を総動員した地上戦であり、アジア・太平洋戦争で最大規模の戦闘であった沖縄戦の最激戦地であり、1945年(昭和20年)6月23日に、この地で牛島満司令官が自決したことで沖縄戦は終焉を迎えました。

沖縄戦での戦没者は、沖縄県援護課発表によれば、200,656人、うち、日本 188,136人(沖縄県出身者122,228人「一般人94,000人、軍人・軍属28,228人」、他都道府県出身兵 65,908人)、米国 12,520人といわれます。沖縄戦は軍人よりも一般住民の戦死者がはるかに上まわっていることが特徴といわれます。「平和の礎(いしじ)」は、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑です。この中には、まだ名前すら付けられていなかった乳幼児の死亡者も含まれています。

同時に、この「摩文仁の丘」は、沖縄戦跡国定公園(戦跡としては唯一の国定公園)に含まれ、美しい海を臨む景勝の地でもあります。平和学習の一環として、多くの高校生等が修学旅行で訪れる公園です。

私が参列した日も、断崖の向こう側には青い海が広がっていました。沖縄戦の際には、追い詰められた人たちが断崖絶壁から身を投げて亡くなったという話や映像も見たことがあります。私は、慰霊碑などはもとよりですが、この海と断崖に接した時、自然と手を合わせ鎮魂を祈っていました。

しかし、その近くでは、高校生たちが海をバックにして笑顔にピースサインしてスマホで記念撮影をしているではありませんか。

この子どもたちの姿を、戦争で亡くなった人々や英霊が見たらどのように思うだろうか?子どもたちが笑顔でいられるのも平和だからこそです。そうした子どもの笑顔を見てほほえましいと思われるだろうか?でも、この子たちが平和の大切さや命の大切さを理解できていないかもしれない。あるいは、多くの人々の犠牲と反省の上に今日の平和が築かれていることに気づいていないのかもしれない。そういう思いから悲しまれるだろうか?

私自身戦争を知らない世代です。子どもたちはさらに戦争の記憶からは遠い世代です。歴史に学び、平和を守り抜くことの大切さを改めて考えさせられました。
皆様も、どうぞこの「摩文仁の丘」を訪れ、悲しいほどに透き通った海と対面してみてください。戦没者に思いをはせ、平和を考えてみてほしいと思います。