BLOG
活動ブログ
「伝えること」と「伝わること」
2014-12-22

この夏、総合計画づくりを市民とともに進めるための「川崎の未来を考える市民検討会」を各区で開催しました。このとき参加された市民の皆さんの熱心さには 驚かされました。そのいくつかの会場で気づいたことがあります。それは、参加者の方から挙げられた地域の課題の中には、川崎市として既に取り組んでいる政 策や制度が存在しているのに、それが市民の皆さんには「知られていない」という事実です。これは、市役所が実施している政策などが、市民に届いていないこ とを意味していると思うのです。

また、市役所では大量の広報用のチラシなどの印刷物を作成しています。監査結果によれば、平成24年度の1年間で、1,405件の刊行物を作成し、少なく とも6億8千万円の費用が投じられています。その中には、作成したものの多くのチラシが配布されずに残されているという問題などがあるのです。

こうしたことも、市役所が実施している政策などを市民の手元に届ける工夫と努力が足りないのではないか、と思われるひとつの指摘だといえます。

私は、職員に対しては、「情報発信をいかにするか」という点について、「発信すれば終わりではない。市民にどのように『届いているか』を重視するように」 と話しています。そうした視点がまだまだ不足していると感じているので、今後は、積極的かつ効果的な情報発信のために、広報のあり方やメディア対応に関す る教育の徹底などを進めていくつもりです。

もちろん、市民の皆さんに情報を届けていくためには、行政としての努力も大切ですが、新聞やテレビなどのマスメディアの役割も大変重要なものです。メディ アを通じて市民の皆さんに正しく情報を伝えるためには、まず、情報を発信する立場にある私や市役所側が正確な情報を積極的にメディアに説明することが第一 歩です。そのうえで、メディアの皆さんにもしっかりと情報をご理解いただき、正確な情報を読者や視聴者の皆さんに報道していただくことが必要です。

これに関連して言えば、昨今、福島原発の事故対応などの報道をめぐって新聞社の誤報が問題になっています。メディアの報道は、市民・国民にとっては、さま ざまな判断や行動の根拠になるものです。一部にはマスメディアを「第四の権力」と呼ぶように、現代社会においては、とりわけその影響力は強大なものがあり ます。そうした観点からは、メディアの報道においては正確な情報が伝わるように、その用語の使い方や言い回しにも注意が払われることが求められます。

川崎市に関連した報道で一例を挙げると、市立高校の教科書の採択に関して教育委員会が学校側に再考を求めたことをめぐる報道の中で、教育委員会の判断を 「介入」いう用語を用いた見出しを出されたことがあります。「介入」とは、「問題・事件・紛争などに、本来の当事者でない者が強引にかかわること。」(広 辞苑)という意味です。教育委員会の教科書採択は、もちろん本来の権限であり、手続きに則ったものであります。それを、あたかも不当なこと、強引な行動と 誤認させるような用語の使用は、不適切であると言わざるをえないでしょう。一部のスポーツ新聞などでは、わざとセンセーショナルな見出しを掲げることもあ るようですが、行政に関わる報道では、市民に正確な理解をしていただくためにも、こうしたことは避けてほしいものです。

情報を発信する側が「伝えよう」としたことが、最終的には、受け手である市民の皆さんに正確に「伝わること」「受け止められること」が非常に大切なことなのだと思います。

特に、最近のように災害などが頻発する状況では、このことをしっかりと肝に銘じておきたいと思います。